FXと資産運用で1億達成して何が変わったのか。
私は大分前に1億円は達成しています。その後も幸運は続き、資産は増え続けています。でも、日常生活は年収数百万円だったサラリーマン時代とほとんど変わっていません。営業万だったせいか、当時の方が贅沢だったような気もします。
今日の記事は、資産を増やし続けていくために大切と考えていることを書かせていただきました。
僥倖を夢見るなの真意
僥倖(ギョウコウ)を夢見るな〜ロスチャイルド家訓
僥倖とは、偶然に得る幸せのことをいいます。
これを相場に当てはめれば「運良く勝とうなんて思うな」という意味合いに取るかもしれません。
でも、こう書くとほとんどの方は「私は違う。運で勝とうなんて思っていない!」と反論するはずです。
誰もが、利益を出すために、一生懸命努力しています。その結果、利益となったのですからそれは僥倖による勝ち=運による勝ちではなく、実力による勝ちなのだと考えるのが自然だからです。
昔の私もそう考えていました。
今は、考え方がちょっと違ってきたんです。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
これは、将棋など勝負事で時折使われる諺です。
勝ちには実力以外の要因(例えば運)で勝つことがあるが、負けるのは実力が届かないからにすぎない。
そんな意味合いです。最近の私は、これと似たような心境なのです。
「FXの勝ちは運によるものと考える。FXの負けは実力が及ばないと考える」
先程の勝負事の諺以上に、勝ちは運によるものと考えるようにしています。
これには、実際の効果もあります。こうすることで、大きく勝っても自分がうぬぼれるのを抑えてくれる効果があるからです。
もしかすると、冒頭のロスチャイルド家訓「僥倖(ギョウコウ)を夢見るな」も同様の意味合いなのかもしれませんね。
ロスチャイルド家ほどの大富豪となれば、その資産額・事業からの収益は莫大なものになります。
でも、その富でおごり高ぶるようなことになれば結局は一族の破滅にもつながりかねません。ロスチャイルド家の繁栄を長く保つには、自分たちの気持ちを引き締め続け努力し続けることが大切になります。
「僥倖を夢見るな!これは運にすぎない。幸運で喜んではいいけない!気持ちを引き締めろ!」
ロスチャイルド家を引っ張ってきた人達は、こんな気持ちで巨万の富を築いてきたのかもしれません。
似たような部分ですが、これまで資産が増加するたびに私が注意していたことがあります。
生活のリズム変化に注意
私も相場運用を続けてもう25年以上となります。運用で築いた資産額もそれなりのものになりました。
資産額が増えるたびに注意していたのは「生活リズムの変化」です。
相場である程度資産を築いた人が、没落していくのには「お決まりのパターン」のようなものがあります。
それは、相場喜怒哀楽という本で以下のように表現されています。
盛運期における気概は山を抜き。世をなびかせて飛ぶ鳥を落とす勢いであるがなんともはかないものである。そして必ず、人生の天井圏で不思議なほど、あぶないという兆候が表れる。
その兆候の典型例についても触れられています。
その兆候とは、その人の態度をいうかもしれない。衣食住に関してのなんらかの変化を見逃さない人もあるだろう。家の新築・増改築・車の買い替え・夜のお遊び・着ているもの・身に着けるもの・そして取り巻きの顔ぶれの変化・海外旅行・多額の寄付など、しかし最大の兆候は相場手口の変化であろう。
これらを読み直しながら感じることは、運用に成功して資産が増えても生活のリズムを変えてはいけないのだということです。
これまで、それを守って運用を続けてきました。
- 1億を超えても何も変わりませんでした。
- 2億を超えても何も変えずにきたつもりです。
- そして、多分10億を超えてもこのままいくつもりでいます。
自分でこう書いてきて思うのは、皮肉なものだなぁということです。
相場運用で目指していた姿は「大金持ちになって贅沢な暮らしをすること」でした。
でも、成功のためには生活のリズムを変えるような贅沢はいけないと自分に言い聞かせて生き続けているからです。
まあ、それでも今の人生に不満はありません。家族が、普通に生活できていれば満足です。運用で資産が大きくなればなるほど、万が一のための備えができていることにもなるので、安心して生活と運用を両立していけます。
資産額もまだまだです。日々1分の作業を続けながら、着実にやっていくつもりでいます。