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本間宗久はなぜ負けたのか

今の亀千人投資術をもとに記入し続けている豪ドルグラフの只今の状況です。

 

豪ドル円 

 

そろそろ上に抜けそうな感じがあるのですが、なかなか抜けませんね。ここで一旦跳ね返されるかどうかをみているところです。今年の豪ドル円は、ずっと往来相場を続けてきているので、エネルギーは十分に貯まっています。

 

出動準備と日々の作業はしっかりと行いながら、動き出すのを待ちたいと思います。

 

本間宗久の話を読んでいて興味深い逸話をみつけましたのでご紹介します。あと数分お付き合い下さいませ。

自由に負けた本間宗久

本間宗久

相場をやる者で本間宗久の名を知らない方はいないかもしれません。江戸時代の伝説的な相場師として有名であるばかりではなく、酒田罫線や「三位の秘法」などは、彼の考案したものと信じられています。日本の相場師の開祖的存在でもあります。

 

さて、彼を主人公にした話はいく種類かあります。その中で共通していることの一つは、山形の酒田で大成功した後に江戸の米相場で大負けしたという話です。不思議なもので、どんな偉大な相場師でも、一度は破産寸前の大損を経験しています。

 

破産経験は、相場師の登竜門のようなものなのかもしれません。

 

そして、本当の成功者と敗北者を分けるのはその破産経験の後の行動というのも過去の歴史が教えてくれるところです。

 

それはさておき、本間宗久がなぜ江戸の米相場で大敗北したのかという理由がとても勉強になります。「相場喜怒哀楽」によると、一番大きな敗因は「自由に負けたことだった」というのです。

 

つまり、初期の本間宗久が活躍した酒田の米相場は酒田藩主が管理する小さな市場だったため、相場の流れがとても読み易かった。ところが、江戸の米相場は規模も大きく将軍でもその管理ができないほど自由で強大な市場だった。それを理解せずに挑んだために本間宗久は、負けたというのです。

 

その敗北から彼の有名な「三位の秘法」が産まれたと言われています。

 

本間宗久は、流れに逆らうような強引な相場操縦などはしなかったといわれています。相場の流れを読み、流れに逆らわずに乗っていく、この基本部分は、どの相場運用にも通じる部分でもあります。相場の流れを感じる方法はいろいろとありますが、難しい分析などは要りません。

 

外にでて深呼吸しながら風の流れを肌で感じるがごとくやっていくのが、私達の亀千人投資術+場帖・グラフによる売買です。日々の作業は僅かでもその積み上げによって要請される技術は一生の財産となります。

 

さぼらず、気負わず、うぬぼれず、これからもコツコツとやってまいります。

 


2014/06/13


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